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矢内原忠雄土曜学校講座アウグスティヌスの『神の国』No.157

 投稿者:旅人メール  投稿日:2010年 4月13日(火)06時52分38秒
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  (「第31講」その4)

 キケロの復活否定論について

 キケロは復活を否定している。キケロは地の体が地(球)以外の場所に存在することを、自然の法則が許さないと言って、肉体の復活を否定する。この世の学者は、キケロの言った言葉を引いて、復活を否定する。

しかし、地には地的な体と結合された生ける霊が満ちているではないか。神がすべての体、したがって天の体より優れた霊が、地の体に結合されることを許されるならば、地の体が天の体に高められることは、怪しむに足りない。

世に信じ難いことが三つある。
 (一)キリストの肉体が復活して、天に昇ったこと
 (二)このことを世界の大多数が信じたこと
 (三)このことは、少数の無学な弟子たちが宣べ伝えたことであるにもかかわらず、世界が信じたこと

である。このうち(一)を疑う者―――キリストの復活を疑う者―――も、(二)と(三)とを否定することはできない。

ローマはその創設者ロムルスを愛したのでこれを神であると信じた。神の都の民は、キリストを神であると信じるので、これを愛する。

ロムルスを神とすることについては、ただこれを信じるということであって、事実として述べられているのではなく、またこれを証明するに足る奇跡の徴が伴っているのでもなく、またその事が前から預言されていたのでもなく、

またローマ市民以外の者は、ロムルスの名の威嚇によってロムルスを神とすることを強要されるに過ぎず、ロムルスが神であることを認めて、これを拝んだ者は、かつていない。かえって、彼が神であるという信仰を告白するよりも、死を選ぶ者があるのである。

これに反して、多くの罰、いや死そのものさえ、世界中大多数の殉教者がキリストを神として礼拝し告白することを妨げることはできない。

彼らは一時的に、この世の安心のために、その不信仰な迫害者に向って、戦うことをなさず、むしろ迫害者に対する戦争を控えることによって、永遠の救いを得ることを選んだ。

彼らは縛られ、獄に入れられ、鞭打たれ苦しめられ、焼かれ、略奪された。しかも彼らの救いは増した。

キリストの復活昇天は、もしそれが真理そのものの神性―――真理が神としての性質をもっている―――もしくは神性の真理とこれに伴う奇跡とによって証明されなかったならば、とうてい信じられなかったであろう。

真理と、それに伴う奇跡の証明の力により、多くの残酷な迫害の反対と恐怖とにかかわらず、まずキリストにおいて、次いで新しい世界におけるすべての人において、肉体の復活と不死とが宣べ伝えられ、全世界に種をまかれ、殉教者の血によって豊かにうるおされたのである。


 非常に簡単に述べました。けれどもこの前も言いましたキケロの「共和国論」という本の第三巻に、キケロが復活の問題を述べて、ローマの建国の主であるロムルスが復活をして天に昇ったという話があるが、そんなことは信じられないと、ここで述べています。

それが信じられない理由は、地でできている地の体が、地以外の場所に存在すること、すなわち自然の法則によって地から生まれたものが天に存在することは信じられないと、キケロが述べている。

それでキケロいわく、今から六百年前―――ロムルスは、キケロより六百年前の人であった―――には、まだ人間の知識が発達していなかったから、ロムルスが天に行ったなどということが信じられたのだが、今時そんなことは、信じられないと言っている。

 それに対してアウグスティヌスが言うには。地の肉体が天の肉体に高められるということよりも、そもそも物体が霊魂と結合することの方が、もっと不思議だ。

地の体が天の体に変わって高められて天に行くことは、地と天の違いはあるが、同じ物体であるから、そう不思議もないが、全然性質の違う霊魂と体とが結合することの方がまだ不思議である。

ところが霊と体とが結合したものは、地上においても沢山いるのだから―――生物はみなそうなのだから―――、それを認める以上、地の体が天に行って存在することも、考えられることである。これが第一のポイント。


 第二のポイントは、キケロの言うには、ロムルスは今から600年前のことだからそう思われたが、今時そういうことは考えられないというのに対して、アウグスティヌスが言うのに、キケロ(106~43BC)の時から、キリストが生まれたアウグストゥス皇帝(27BC~14AD)の時まで約60年経っている。

そうするとロムルスの時からキケロの時に至る間に、世の中はすでに進歩したのであるから、ロムルスが復活したなどということは信じられないと言うなら、キリストの生まれた時には、さらにいっそう人間の知識が進歩していたはずである。

ところがキリストの昇天が信じられて、全世界に広がったのはどういうわけだ。単に知識の発達によって否定されるべきものであるなら、とうてい説明できないではないかと言う。

 そこで、キリストが復活昇天したのは不思議だが、今日全世界の者が、それを信じているというのが不思議である。しかもそれがペテロとかヨハネとか無学の弟子たちが証をしたことが、今日全世界に受け入れられているということが不思議である。

 ともかくキリストの復活昇天ということを、アウグスティヌスの時までに、全世界の人々の大多数が、これを信じていることは事実であって、どうしてそういう不思議な事実が起こったか。それを哲学者たちが信じないのはどうしてであるか。

キリストの肉体の復活昇天ということが、事実であったからこそ、この信仰が全世界に伝わったということが、あり得たのである。

哲学者たちが、キリストの復活昇天を信じないと言って否定しているが、他の事すなわち少数の無学の者が宣べ伝えたことを、全世界が受け入れたという不思議な事実を疑うことができないだろう。

 それは何によって説明するかと言えば、他に説明の方法はない。すなわち彼らが信じることを拒んでいる第一の点を、事実として認めるより他はない。実際ロムルスが昇天したということと、キリストが昇天したということとは、まるきり性質が違う。

 キケロがロムルスの昇天を否定したことで、キリストの昇天を否定することを、多くの学者がやっている。それは大間違いの議論である。

ローマ人はロムルスを建国の先祖として愛したゆえに、これを神として祭り上げて天に行ったという信仰をもち、キリストにおいてはこれと反対でキリストを神と信じたゆえに、これを愛するのである。

ロムルスは一般の先祖崇拝と同じであり、先祖を愛するゆえに、これを人間以上の神として拝んだにすぎない。それが神であることを事実によって証明することは一つもない。

神としての品性をもっていたとか、神としての能力をもっていたということは何もない。ただこれを愛するゆえに、神として祭ったのである。またそれが神であることを証明する奇跡が少しも伴っていない。

ロムルスが生まれたとき、狼のお乳で養われたという物語が伝わっている。狼のお乳を飲んだということは、何もそれで神であるということの証拠にならないじゃないかと、アウグスティヌスは言っています。

それはそうだね。狼のお乳を飲んでも神じゃない。それからロムルスが神であるという預言が、前々からあったわけでもない。

 そういうことはすべて、キリストの場合では備わっているのであって、キリストの場合では、キリストが神であるという事実、復活昇天が事実として述べられている。それから、キリストが神であるということの預言が前々からある。

 ロムルスは神であるということの信仰が迷信であって、キリストは神であるということの信仰が迷信でないことの違いは、後世に及ぼす結果からでも分かる。

ロムルスが神であるということは、ただ少数のローマ人が先祖を愛するゆえにロムルスを神として拝んだのと、ローマ市民以外の者は、ローマ帝国の権力によって脅かして強要したから、恐怖によってロムルスを神と認めただけのことであった。

本当に神と思った人はいない。だからロムルスのために生命を捨てる者はいないのだ。これは、本当のことですね。本当にそうであって、今もそうです。

最近に行われた最も顕著な事件の一つは、去年のことですが、満州国に天照大神が祭られた。それで、満州国の建国の精神は、日本の天照大神から出たのであるという解釈の下に、日本の天照大神を、満州国の神にしました。

それはいわば、ローマの市民以外の者がロムルスを神として祭るようなものであり、ロムルスの名の恐怖によって、強要された信仰にすぎない。満州の中から天照大神のために生命を捨てるような者が一人でも出てきたとすれば、私首をやってもいい。そんなことはない。

これに反して、キリストが神であると言うためには、多くの殉教者が血を流して、しかも自分の迫害者に対して戦いを挑むということは、神から許されていないから、ただ反対に戦いをしないこと、その道だけがキリスト者に許された真理証明の手段であった。

それによって多くの血が流されたが、しかしキリスト者が勝ちを得た。今日全世界が、キリストが神であること、またその復活昇天を信じていることは、これが真理であることの証明であるだろう。非常に力強い議論です。


(以下次回に続く)

関連ブログ 内村鑑三現代訳 http://green.ap.teacup.com/lifework/
 
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