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矢内原忠雄土曜学校講座アウグスティヌスの『神の国』No.154

 投稿者:旅人メール  投稿日:2010年 4月 8日(木)07時42分15秒
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     第31講 第21巻 第17章~第27章・第22巻 第1章第20章
                          1941年3月8日

     第21巻

 今日は第17章からです。第21巻の第17章から第27章までは、キリスト者の側から来る、永遠の刑罰を否定する論です。今まではキリスト信者でない側からの否定論を述べました。今度はキリスト者の側からの否定論を述べるのです。


 第17章

 オリゲン( http://en.wikipedia.org/wiki/Origen )―――初代教会の先生にオリゲンという人がいた。ギリシャ時代の神学者―――は、悪魔でさえついには救われると言い、またすべてのものに対し、祝福と苦痛とは、一定の周期で、永久に交代的に来ると言った。



 第18章

 不信仰な悪人は、これに値する長い刑罰を受けることを認めるが、最後の審判の時になれば、聖徒の祈りと執成(とりな)しによって、神は彼らを憐れんで、赦されるであろうと言う者もいる。



 第19章

 永遠の刑罰からの救いの約束を、すべての人間に及ぼさないが、いやしくも洗礼と聖餐を受けた者は、どのような生涯を送ったか、またどのような異端に陥ったかを問わず、すべて救われると言う者もいる。



 第20章~第21章

 異端の洗礼および聖餐は除外し、カトリック教会でこれを受けた者は、その生涯のいかんを問わず、いかに堕落した者であっても、永遠の刑罰を免れ、ついには永遠の救いに入ると言う者がいる。



 第22章

 自分の罪を、施しによって覆(おお)わない者だけが、永遠の罰を蒙るという説がある(ヤコブ書§2:13、マタイ伝§6:12、14~15)。



 第23章

 第23章以下は、上述の諸点に対する反駁であり、その要点は次の如くである。箇条書きにしておく。

1 聖徒の祈りと執成しの効力をなぜ悪魔にまで及ぼして論じないか。悪魔も救われると言わないか。

2 浄福については、それが永遠であることを認め、刑罰についてこれを認めないことは、不合理である。

3 ガラテヤ書§5:19~21に記された者は、天国を継ぐことはできず、したがって永遠の刑罰を受けなければならない。なぜなら、両者の中間的場所はないからである。

4 マタイ伝§6:12、14~15の言葉は、私たちの過去の罪が赦されるための条件であって、罪を継続しながら、施しまたは憐れみによって、悪に対する免許を得るものと、考えるべきではない。

5 これらの人情論は、自分自身のために主張するものであって、全人類に対する神のまがいものの憐れみにより、自分自身の堕落した生涯も赦されるであろうという、虚偽の望みを抱くものである。

6 聖徒の祈りと執成しとは、死後―――死んだ人―――の魂に対しても有効であるが、それは永遠の刑罰に至るまでの間であって、神が永遠の刑罰に至ることを命じられた者について、その罰が永遠であることを否定することは、出過ぎたことである。

人は悔改めてその悪を捨てない限り、キリストの肢―――キリストを頭とする肢―――ではなく、したがって永遠の罰を免れることはできない。上述の論旨は、聖書の権威を認めるが、聖書の教えるようにではなく、自分の欲するままに未来を考えているので、誤った解釈に陥るのである。


 あまり簡単に書き過ぎたから、反って分からなかったと思います。説明しておきます。

 この近頃の神学にも、万人救済説(universal salvation)というのがあって、人間はすべて救済されると言う。アウグスティヌスがここで述べているのは、主としてその問題です。

 永遠の刑罰否定論の中にもいろいろあって、万人に対してこれを否定する意見が一番広いのですが、万人とは言わなくても、キリスト教の洗礼と聖餐を受けた者はみな救われる。

もっと範囲を狭くして、聖餐や洗礼といっても、異端と認められる教会に属する者はだめだが、しかし正しい教会―――カトリック教会―――に属する者ならば、たとえどんなに堕落しても、洗礼を受けた後に堕落しても結局救われるというのです。

 それからさらに範囲を狭くして、憐れみをもって慈善をする人は、どんなに罪を犯しても、その慈善の力によって救われる。といった具合に、いろいろな説がある。

要するに永遠の刑罰を全人類に対して否定するとか、あるいはその内のある人々に対して否定するという議論がある。こういう人々は、悪に対しては罰を受けることを認めるが、それは大きな悪事をすれば長く罰せられ、小さな悪事をすれば少なく罰せられるのであって、永遠の刑罰ということはない。

 アウグスティヌスが述べた中には、はっきり現れていませんが、近頃の万人救済説の一つの根拠として、神は愛であると言う。神が人を永遠に滅ぼすことは、神の本質が許さないことであるから、神は愛なのだから、全人類を救う。近頃は、そういう意見が言われています。

 しかし、アウグスティヌスが述べている、この部類の永遠の刑罰否定論の中からも、神は愛であるという説に対する答を、私たちは引き出すことができます。


(以下次回に続く)

関連ブログ 内村鑑三現代訳 http://green.ap.teacup.com/lifework/
 
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